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テレビ東京は開局時は教育専門チャンネルだった

関東地区の民放テレビ局には、1都5県を放送エリアとする広域テレビ局が5局ありますが、そのうちもっとも開局が新しいのが「テレビ東京」です。いまのテレビ東京は「経済ニュースに強い」「アニメが充実」などが特徴ですが、開局した当時は番組内容が大きく違い、NHKのEテレと同じ教育番組が圧倒的に多い放送局だったのです。


テレビ東京は開局時は教育専門チャンネルだった

テレビ東京の開局前は米軍用の周波数

テレビ東京は、1964年に開局した当時は「東京12チャンネル」という放送局名でした。関東地方にある他の広域放送局が1950年代に開局したのに対し、東京12チャンネルの開局が遅かった理由は、関東地方ではアナログ時代の12チャンネルにあたる周波数を長年、在日米軍がレーダー用に使い続けていたためでした。

1961年に在日米軍が12チャンネルの周波数を日本に返還したことを受け、関東エリアでも新テレビ局に12チャンネルを割り当てることを決定。さまざまな団体のなかから開局にこぎ着けたのは、民間企業ではなく財団法人の日本科学技術振興財団でした。

日本科学技術振興財団は、東京都千代田区にある科学技術館などを運営する財団ですが、通信・定時制の高校・科学技術学園高校(開校当時は科学技術学園工業高校)の設立母体でもあります。東京12チャンネルの開局を日本科学技術振興財団が目指した理由のひとつには、同高校向けの通信教育用という狙いもあったのです。

テレビ東京は教育専門局として開局

しかし、日本科学技術振興財団による東京12チャンネルの経営はうまくいきませんでした。これは、東京12チャンネルは「教育専門局」として放送局の免許を受け、科学技術教育番組を60%、一般教育番組を15%を基準に番組編成を行うという条件があり、番組スポンサーの獲得に苦戦したためです。

結局、日本科学技術振興財団による東京12チャンネルの経営は1967年に破綻。経費削減のため、一時は放送時間を1日5時間に圧縮するといった対応もとられたほどでした。その後、番組製作会社として「東京12チャンネルプロダクション」という会社が設立され、この会社に日本経済新聞が経営参画することになります。

さらに、東京12チャンネルと同じく教育専門局として開局した日本教育テレビ(現テレビ朝日)も経営に苦戦していたことから、郵政省が方針を転換。教育専門局という枠組みを1973年に廃止し、東京12チャンネル、日本教育テレビともに一般局として再免許を受けることになりました。

この際、東京12チャンネルの再免許は日本科学技術振興財団ではなく東京12チャンネルプロダクションから改名した「株式会社東京12チャンネル」が受けることになり、日本科学技術振興財団による東京12チャンネルの経営は終了することになったのです。

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ラジオライフ編集部

ラジオライフ編集部三才ブックス
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