かつて「日本教育テレビ」だった放送局はどこ?
関東地方を放送エリアとするキー局の1つ「テレビ朝日」は、とくに報道番組に関しては朝日新聞色が強いことで知られています。このことからファンが多い一方で、反対派から批判を受けることも少なくありません。そんなテレビ朝日は開局当初、教育番組に力を入れることが義務付けられた「教育専門局」だったのです。

日本教育テレビは53%以上を教育番組
テレビ朝日は、社名に「朝日」と入っているとおり現在では全国紙の1つ・朝日新聞社と密接な関係があるテレビ局です。しかし、テレビ朝日が1959年に開局した当時は「日本教育テレビ」という放送局名で、朝日新聞社との関係は現在ほど深くありませんでした。
テレビ朝日(当時は全国朝日放送)が1984年に発行した『テレビ社史』によると、日本教育テレビは郵政省が関東地方のテレビチャンネルを3局から6局に増やすにあたり、民放局の1チャンネルは教育専門局とするという方針に基づき開局しました。ちなみに、その他2局はNHK教育テレビと一般局として開局したフジテレビです。
日本教育テレビは、教育専門局という位置づけのため、放送局の免許条件として教育番組を53%以上編成することが求められていました。1964年6月1日の朝日新聞ラジオ・テレビ欄を見ると、18時から「こども世界ニュース」という番組を放送するなど、教育番組をなんとか増やそうという苦心の跡がうかがえます。
また、日本教育テレビの設立には受験参考書で有名な旺文社や映画会社の東映、日本経済新聞社系列のラジオ局・日本短波放送(現ラジオNIKKEI)が深く関わりましたが、朝日新聞社はニュース映像の一部を供給するという立場でした。ちなみに、関西圏の準キー局・朝日放送は1959年当時から朝日新聞社系の放送局でした。
日本教育テレビが愛称をテレビ朝日に
こうして、日本教育テレビは教育専門局としてスタートしたものの、テレビの普及が進み一般番組の視聴率が好調な一方、教育番組についてはCM売り上げの不振が続きました。『テレビ朝日社史』によると、不振の原因は教育番組がCMに不向きなだけでなく、教育番組にはCM時間や内容へ制限があったことも大きな理由でした。
その後、日本教育テレビに続いて1964年に教育専門局として開局した東京12チャンネル(現テレビ東京)が開局からわずか3年の1967年には経営危機に…。これをきっかけに、郵政省は教育専門局という枠組み自体の見直しの検討をスタートさせるのです。
結局、1973年に郵政省は教育専門局の制度を廃止することを決定。日本教育テレビは東京12チャンネルとともに、一般放送局として放送局の再免許を受けることになりました。
この動きにあわせ、日本教育テレビからは日本経済新聞社が資本を撤退し東京12チャンネルへ出資する一方、朝日新聞社が日本教育テレビへ出資することになりました。その後、日本教育テレビは1977年に社名を全国朝日放送、放送局の愛称をテレビ朝日に変更。2003年には社名もテレビ朝日へと変更しています。

ラジオライフ編集部

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